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 Jottings on J-football

J. League clear up. Bart GAENS
バート・ガーンス
「Jサッカー」雑録

 日本で生活を送っていたころ、世界各国から集まった人々との共通話題の一つはやはりサッカーであり、外国人チームの結成を通じて友情の絆を作ることができた。サッカーほどグローバルなスポーツはなく、世界共通文化の重要な要因に違いない。しかし、私が始めて来日した1989年は、テレビでサッカー試合がみられるのはまれなことであり、子供が外でサッカーをやっている姿も少なかった。それから13年後、プロリーグの設立、フランス・ワールドカップの初出場、日本選手の海外活動、そして2002年W杯の日韓共同開催が事実となった。学校や公園でサッカーを楽しんでいる青年が多いに増えた。現在、Jリーグ・ブームが去ったといっても、サッカーの普及はスポーツ文化を超える広い日本社会の変化を象徴していると私は思う。

日本におけるサッカーの普及は熱狂的なブームとして始まり、日本社会の流行好みを肯定するだろう。Jリーグが始まった1993年にはすべての試合が完売となり、切符を手にするために終夜の行列するものもいたことに驚いた。Jリーグ・グッズ及び「J」という文字を含むカレーなどのような商品のバカ売れが、サッカーの商業化と広告の成功を明らかにした。地域祭りとしてサッカーを楽しむ新型家族、いわゆる「Jリーグ型家族」という表現さえ出たことに驚いた。

しかし、「Jサッカー」、つまり日本独特なサッカー文化が存在するだろうか。長い期間在日していた私は次の点に注目した。はじめに、実際に試合を見に行ったとき、スタンドでの雰囲気はヨーロッパのそれとかなり違っている。スポーツは共同体の結合手段であるが、ヨーロッパではサッカーはマッチョ的性格が強く、観戦者のスタンドに脅迫的な、険悪な雰囲気があるときも多い。日本のサポーターには女性と子供連れの家族が多かったことに驚いた。お酒を飲んで、お弁当を食べながら試合を観戦する人が目立った。そして、四年前フランスで行われたワールドカップには日本人サポーターは試合終了後ごみを拾い持ち帰ったことで世界を驚かせた。

さらに、実際にサッカーをするときも、スポーツにおけるヨーロッパと日本の違いに気付いたりする。たとえば、私が属していた外国人チームはよく審判の間違った判断に対して強く抗議し、相手チームの選手に大声で反論する。その結果、集中力を失い、試合に負けることがある。日本人はほとんどの場合沈着冷静に試合に集中し、個人的な抗議、口論を避けようとする。

J. League fans. 他方、日本人選手は責任をとることを防ごうとしている、というような印象を受けた。私はそれを「蹴鞠スタイル」と呼びたい。よく知られていることだが、蹴鞠は7世紀に中国から伝わってきた、主に貴族や富裕な商人階級の中で盛んに行われていたゲームのことで、目的はボールが地面に落ちないように、声を出しながらできるだけいいパスを出すというものだ。中国には試合方式が流行していたのに、日本では勝敗のないゲームとして取り入れられたのは興味深い。直接的な関わりがなくとも、現代日本の運動教育で一般化された練習法に類似性があることに注目し。日本の大学の運動練習を始めて目撃する時、「一体なぜそんなに大きな声を出す必要があるのか?」あるいは「一体なぜゲームや練習試合をせずに、永遠にパスの仕方の練習を続けるのか?」ということを疑問に思ったのは確かに私だけではなかった。

最近、サッカーは新しい若者文化の一次元とも呼ばれている。町を歩くと十年前と比べて非常に個性的ファッションが目立つようになった。「フリーター生活」で満足する友達や、終身雇用のくせに大手会社をやめた友人もいる。このような、むしろ個性的表現を重んじる新人類は「ジコチュー(自己中心)でいきます」という中田英寿選手にその理想像を求める。よく「傲慢」とみられている中田が数年前、周りを気にせずに、「君が代」 を歌うことを拒否し、「ファッショナブルじゃないし、暗いし、試合の前に歌うような歌ではない」といって、スキャンダルを起こしたことは記憶に新しい。中田の自己表現、髪の色、態度などは野球の世界では想像しにくいのではないか。サッカーはサラリーマン文化を象徴する野球に対して、より個性を重要視する新世代の若者のシンボルともなったといえる。

 しかし、その「個人主義的な傾向」は果たして最近の現象であろうか。「集団主義」とか「没個人主義」的な社会といわれている日本には19世紀後半から始まった近代化まで、勝負をかけるチーム・スポーツがなかったことは非常に興味深いことなのではないかと思う。これは私の推測に過ぎたいが、スポーツ世界にだけではなく、広く日本社会には個人主義的な傾向がかなり強く、とくに第二次世界大戦からそれを押さえる仕組みが作られ、没個性が美徳とされた、のではないかと考え。今となって、サッカーというグローバルなスポーツは個性を抑える「理想型」に対して反発を起こし始めた新世代の自己主張の場の一つにもなっていると私は思う。

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